2016年10月13日

今朝、見た夢(どなたか診断してください)

なにかのイベント会場にいて。
どうやら僕がそのイベント責任者になっているらしく、
みなから実行委員長と呼ばれてました(笑)

家族連れのお客さんたちがたくさん来ており。


なにか子供たちに喜んでもらえる展示物でも置こう、ということで。


僕が選んだのが、なぜか「人生ゲーム」でした。




子供たちは人生ゲームに群がり、
ルーレットを回したり、コマの車を物珍しげに動かしたりして、
人生ゲームは大人気に!


で。
この人生ゲームには、なぜかたくさんミニカーがついていて(笑)

男の子たちがミニカーに夢中になるわけです。


そのなかの一人の男の子が・・・
スプレーみたいなやつを出してきて、
ミニカーを勝手に塗装しようとしてるのです!



さすがに僕が注意します、
「これは売り物やから、そんなことしたらアカンで」、と。


すると、その男の子の母親が登場、
メガネをかけてて、白髪頭で、細身で神経質そうな母親です。

母親は金切声をあげて、猛然と抗議してきました。

『これは展示物だから売り物じゃないでしょ!』
『展示物なんだから子供の自由にさせてあげなさいよ!』
『子供の好きにできないのなら、展示なんかやめなさい!』



僕も大声をあげて反論します(笑)

いや、あのねえ、お母さん・・・
これは子供たちに楽しさを知ってもらうために展示してるのであって、
この人生ゲームは、あくまでも売り物なんです。
ミニカーに勝手に塗装していいわけないでしょうが。
非常識ですよ、と。(苦笑)




お母さんはわけのわからないことを甲高い声でわめき続けています。



そしたら、若手の男性(←なぜか長野市役所の某職員)が僕の耳元で・・・

 このひと、有名なクレーマーなんですよ、まともに相手にしても無駄です、
 ここは僕らに任せて、委員長は、早く宴会場に行ってください。

そう耳打ちするのです(笑)


そうなんか、じゃあすまんがここは頼む、ということで。



僕は宴会場に向かいます。










宴会場は、そんなに豪華なところではなく、
なんか公民館を貸し切った広い部屋で、
長机の座卓が、だだーっと置いてあり、
つまみも、そんなに豪華な感じではありませんでした。

城山の花見小屋みたいな感じの宴会場です。


ただ・・・メンバーはおそろしく豪華すぎる顔ぶれだったのです!





なぜかプロ野球界の重鎮たちが、
ずらっと顔を揃えているのです!!(笑)







僕が宴会場に入ると・・・

『おおーっ!来た来た、さあさあ、わしの酒から飲め!』

そう大声で言ってきたのはカネヤンこと、金田正一でした(笑)




伝説の投手に直々にお酒をついでもらえるなんて、恐縮です、、、そう答えて。
カネヤンは、とにかく飲め飲め、で・・・(笑)
ひたすら飲まされ続けておりますと。。。




次に隣に座ったのは、張本勲でした。




張本はしきりに・・・

イチローよりわしの方がヒットを打っとる!お前もそう思うだろう

こればかり言うので、ほとほと僕は困り果てます。



助け舟を出してくれたのは、王貞治です。




岡本君、こっちにおいで、こっちで飲もう、と言ってくれて、
話の腰を折られた張本も、王が相手では文句は言えません(笑)

王の話は、努力することが大事なことなんだ、みたいなことを言っていて。
俺はほかの誰よりも努力をしたんだ、みたいなことも言っており ←みんな知ってます(笑)
王は、まじめな人格者なんだけど、おもしろみに欠けました(笑)




王の話をあくびを噛み殺しながら、じっと聞いていたら・・・

そのときにやさしく僕に目で合図を送ってきたのは、野茂英雄でした。



話したらアカン、疲れるだけやで、、、そう言ってるように思えました(笑)
野茂は、誰とも口をきかず、黙々とひとりで飲んでいて。
静かな微笑で、ちびちびワンカップ大関を飲んでました。




その宴会場で、笑い声の絶えない、ひときわにぎやかなテーブルが、
ずーっと向こうの方にありました。

話の中心には、金村義明がいたのです。



いいなあ、あっちに行きたいなあ、金村はおもしろいんだろうなあ、と思っていたら。




いつの間にか王はいなくなり、福本豊が座っていました。



福本はつねに周囲を見渡しており、うまく気配を消していました。
さすが盗塁王だな・・・と思っておりますと・・・




新聞社がやってきて、記念撮影をしますよ、と。



写真を撮ろうと、みんな集まり。
当然のように王をセンターに、みなは王を取り囲むように位置するのですが・・・


おや、カネヤンがいない、ということにみなが気づき。


カネヤンは、部屋の隅っこで酔いつぶれてしまい、
ぐうぐうと、いびきをかいて寝てました(笑)


僕が起しにいきます、
金田さん、金田さん、写真撮りますよ!・・・


すると、カネヤンは、お、おう、と言って。
ふらふらしながら、みなのところにやってきて、

王に向かって 「どけ!真ん中はわしや!」


さすがカネヤンだなー、
カネヤンだけは、なにもかも別格だなー



そう思ったところで目が覚めました(笑)



不思議な夢でしたが、なんか楽しい夢でもありました。
この夢、いったいどういう意味なんでしょうか。


どなたか夢診断に詳しい方、ご診断願います(笑)
  


Posted by おかもと社長 at 10:58Comments(1)ひとりごと

2016年10月10日

親子丼という名前

若いころに、イギリスの人たちと話すことがあって。
そんときの思い出なんですけど。


日本の庶民料理にはどんなものがあるのか?
みたいな話になったわけです。

そこで、僕は「丼」を紹介しました。
日本はコメが主食だから、丼、という料理ジャンルがある、と。

丼というのは、ごはんの上に食材を乗っける料理で。
バリエーションは豊富、
天丼、カツ丼、牛丼、ネギトロ丼、うな丼、などいっぱいあるんだぞ、と。
とくに牛丼は、日本ではマクドナルドのようにファーストフードチェーン店になっている、
一方で、うな丼は、鰻という高級食材な魚が使われていて、高価な丼なんだ、 ...etc
そうやって説明しました。


イギリス人がこれにたいへんに興味を示し。
では、天丼とはなにか?、カツ丼ってなんだ?、とひとつひとつ聞いてくるので。

ひとつひとつ説明していきました。
天丼は、てんぷら、が、ごはんの上に乗っている。
カツ丼は、トンカツという食材がごはんの上に乗っている、と ...etc


イギリス人たちはひとしきり感心したあと、
では、お前は何丼が一番好きなんだ?、と聞かれたので。

俺が一番好きなのは、親子丼かなあ、と答えたわけです。



すると。

『その、OYAKO、というのは、どんな食材なんだ?』 と言うので・・・

いや、オヤコは食材じゃない、親と子供っていう意味なんだ、と答えたら・・・



『じゃあ、その親子丼というのは家族の記念日かなにかに食べるお祝いの料理なのか?』

・・・そうか、そういう発想になってしまうのか・・・



違う、親子丼というのは、鶏肉と卵を使った料理だ、と言うと。

『鶏肉?じゃあどうして鶏丼、チキン丼、と呼ばないのか?』

いやいや、たしかにそうなんだけど・・・苦笑



だから!
鶏肉が親で、卵が子でしょ?
だから親子丼って言うの! と答えたところ・・・



ここで、イギリス人たちが爆笑したのです。

『すごいネーミングセンスだ、すばらしい』
『日本人にもジョーク精神ってあるんだな』



ジョーク?ってわけじゃないと思うけどなあ、と思いつつ。

日本人にとっては、おもしろくもなんともない「親子丼」というネーミングが、
イギリスのひとにとっては、そんなにおもしろいのか、、、と、
むしろ驚いたことを覚えています。


後に、この話がある漫画でネタとして登場し、僕は驚くことになります。

浦澤直樹の「モンスター」という作品のなかで、
主人公の日本人がヨーロッパのひとに「親子丼」を説明し、
外国人たちがゲラゲラ笑う、というシーンが出てくるのです。



欧米のひとにとっては、きっと親子丼って、すごく奇妙なネーミングなんでしょうねえ・・・

日本人は、なんとも思わねえけどなあ。。。




文化の違いって、こういうことなんでしょう。







こないだ、親子丼を食べました。

それで、この親子丼の話を思い出したしだい。




やっぱりうまいなあ、日本の親子丼は!笑

  


Posted by おかもと社長 at 09:03Comments(0)

2016年10月09日

ピカソの名言

できると思えばできる、
できないと思えばできない。
これは、ゆるぎない絶対的な法則である。

-パブロ・ピカソ





あー、あの件、どうしようかなあ?、と迷ったとき・・・
このピカソの言葉を思い出すようにしています。

できない、と思ったことは、絶対にできないわけだから(笑)


まず、できる、と思うところからスタートです。
ここからスタートしないとなんにもできない。


それだけはたしか、なので。
  


Posted by おかもと社長 at 12:59Comments(0)ひとりごと

2016年10月08日

落語「鹿政談」

米朝「鹿政談」

その昔、奈良のまちでは鹿がたいへんに大事にされていて。
鹿を傷つけたり、死なせてしまったりしようものなら、厳しく処罰されたといわれています。
万が一、朝起きて、自分の家の前で「小鹿が死んでた」なんてことになると、
お奉行に呼びつけられ詮議されてしまうものだから・・・

奈良の町人たちは、みな早起きで、万一家の前で鹿の死体があったりしたら、
こそっと隣の家に運ぶもんだ、などといわれておりました。

奈良のあるところに、うそをつかないことで有名な、真面目で正直者の豆腐屋がおりました。
豆腐屋の朝は早いです、暗いうちから仕込みをしておりましたら・・・
バタンと大きな音がして、家の前には小鹿の死体が・・・

豆腐屋は、真面目なひとだったので、隣の家になすりつけるようなことはしませんでした。
明るくなって、町は大騒ぎ。
豆腐屋は奈良奉行所にしょっぴかれてしまいます。

このときの奉行が、名奉行でした。
自分が鹿を殺したわけでもないのに、言い訳一つせず、
老いた母親と子供たちのことをくれぐれも頼む、、、

そういう豆腐屋の潔い態度に心打たれた奉行は・・・
小鹿の死体を取り調べの白洲に運ばせて。

『拙者の目には犬にみえる。皆の者、どうじゃ』

鹿を強引に犬にしていまい、
豆腐屋を無罪放免で解放してあげる、という噺。







上方落語では珍しい人情話です。

そもそも。
江戸落語にはお武家さまがいっぱい登場しますけど、
上方落語にはお武家さまって、ほとんど出てこない。
上方落語はほとんどが町人が主人公の噺で、
たまに登場するお武家さまは「情けない武士(これがくすっと笑いを誘う)」だったりするんです。

だけど、鹿政談のお奉行様は、じつに立派。
立派なお武家さま登場、というのは、上方噺のなかでは珍しいです(笑)





この鹿政談は、いい人情噺だということで。
江戸の噺家にも人気のある噺のようで、江戸の噺家さんも多くやってます。


小三治の鹿政談を聞いたときは、仰天しました。

ちゃきちゃきの江戸弁の小三治が・・・
鹿政談に登場する町人、お奉行など、みな流ちょうな「上方弁」になるのです。


東京のひとが関西弁をしゃべると、変なイントネーションになるんですよ(笑)
東京のひとには分からないかもしれないけれど、、、
関西の人間が聞いたら許せないレベルで変(笑)



でも、小三治は違う。
まったく違和感がない。
まるで関西の噺家さん?って思うくらいに自然なのです。

さすが人間国宝。天才です。










この鹿政談のポイントは。
「強引な屁理屈をこねてでも、健全な判断をする」
奉行がかっこいい、という点。



おそらく江戸時代の庶民たちは・・・
お上の、多くの理不尽なことに耐えていたのでしょう。



それをスカッと晴らしてくれるひとがいたらいいのに・・・
それは庶民のささやかな願いだったのかもしれません。



それがこういう落語噺に残されています。




もしかしたら。
江戸時代も今も、根っこの部分はあんまり変わっていないのかもしれません(笑)

  


Posted by おかもと社長 at 18:30Comments(0)映画・TV・お笑い

2016年10月03日

ムラ社会を打破せよ!、としみじみ思う(雑感)

過激なタイトルですけど。笑

最近、これをとてもつよく感じるのです。笑

ムラ社会を打破せよ!、と。



最近、身の回りでも、世間のニュースを見ても、感じる。。。

日本って、組織になると、
どういうわけかムラ社会になりがちだなあ、と。




(写真は、映画「七人の侍」より)



ムラには掟があり。
その掟を守ってムラ人は生きてます。

その掟が、たとえ非効率であっても、
たとえ成果を生まないものであっても、
ムラ人たちは掟を破ることはありません。

掟そのものが無意味化してるときでも、
ムラ人たちは、その掟を変えようとしないのです。



また、日本のムラには、
ある特異な状況が共通して見受けられます。

それは・・・意思決定のメカニズムです。

ムラでは・・・
一部の有力者(いわば長老か)たちが、
密室で寄合を開き、そこで物事が決まる。

そして、そのことをうすうすムラ人たちが「知っている」のです。


公式な会合や会議は、単なるセレモニーで、
有力者たちの寄合で決めたことを追認する場に成り下がっています。


有力者たちの寄合にてなされた意思決定が優れていればいいのですが・・・

困ったことに、、、
その寄合での決定が、
ときとして理不尽なものであったり、
場当たり的なものであったり、
時代の要請にもかなっていなかったり、
現実にも即していなくて、
あきらかにムラ全体にとっても成果を生まないもの、、、

であったとしても・・・
有力者の寄合で決めたことが
「ムラの掟」としてムラ内では優先されるのです。



ムラの有力者たちは、
この掟を変えたくありません。



ムラの有力者にとっては、
この掟があるおかげで、
自分のムラ内での発言力を維持できたり、
ムラ内での自分の地位や名誉が維持できたり、
自分の得になることがあったりするから、です。

ムラ全体にはたとえマイナスになったとしても、
掟を守ろうとするのです。







こういうムラのなかで・・・
ムラ全体の成果をあげるための提示をしたり、
意思決定の場を公式な会議に移そうとしたり、
密室からオープンにしようとしたりする人間が現れたら・・・


これらのタイプというのは、
政治の世界では、小池さんや橋下さん、
経済界では、三木谷さんやホリエモン、などが、
「ムラ秩序から外れたタイプのひと」といえそうなのですが・・・



これらのひとたちは、一気にムラ内で浮き上がります。



ムラの有力者たちが頑強に抵抗をはじめるからです。



掟が破られ、
場合によっては掟そのものが変更されてしまい、
自分たちの築いてきたムラ内での地位が崩れるかもしれないから、です。





ときには、有力者たちは「村八分」という必殺技も繰り出してきます。


陰険陰湿に、執拗に水面下で動き回り、
生意気な新参者の排除に努めるのです。



掟を守り、自分たちを守るため、です。









長年、日本は、こういう社会でした。

あちらこちらがそうでした。


しかし、これを大きく変貌させつつあるのが、

情報化社会、です。



情報化社会とは、ひらたくいえば、
「情報がみなに共有されてしまう」社会、のこと。





それでも・・・

ここんとこ、世間を騒がすニュースって、
「ムラ社会の悪しき慣習」をさらけ出している例が多すぎる。


政治の世界しかり、
東京都しかり、
オリンピック委員会しかり、
不祥事を起こす名門大手企業しかり、
大手有力芸能事務所しかり。


どこもかしこも、ムラだらけ。



僕も仕事をしてて、ふっと感じることがあるんです。
『あ。ここもムラか・・・』、と。



なんででしょうねえ・・・

なんで、日本の社会って、いつまでたってもムラ社会なんでしょう。。。



いま見える情報化社会ってのも・・・低次元化していて・・・
週刊誌中心に悪口を書き立てているだけのような気もして、
これじゃあ、ムラ人たちによる「単なる密告」を見てるだけなんじゃないか、
って、そんな気すらしてきます。






本来の情報化社会ってのは、そういうことじゃないと思うのだが・・・



ムラ社会を打破せよ!


そういう新鮮な思考回路を持ちたいものです。。。



  


Posted by おかもと社長 at 16:21Comments(0)ひとりごと